04 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 06

ぷにぷに

日々の出来事、感じたこと、メモを綴っていきます。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

TB: --    CM: --

--

3月15日 本当のコミュニケーションとは何か 

人間が感覚器官から得る情報のうち、おおよそ9割は視覚情報だと言います。
初対面の人と会話する時、相手を見た目で判断してしまうのが人間の常ですが、では果たして視覚情報を遮断する時、人間は何を頼りに動こうとするのでしょうか...。

先日、神宮前の「Dialog in the dark」で、くらやみ体験というものを初めて体験しました。
純度100%という、つまり目を開いていても全く何も見えない状態のくらやみを体験するものです。

盲目のアテンダントと共に、8名前後のグループでくらやみの中へ入っていきます。
そこで様々なアクティビティをするのですが、視覚情報が遮断された時、人間は他の感覚器官をフルに使って、身体を制御しようと努力するのです。


様々なゲーム(といっても簡単なものですが)ではグループ内でのコミュニケーションが必要とされるのですが、目が見えないので、お互いが触れ合ったり、声を掛け合ったり、なかなか目が見えている状態では「恥ずかしくて」することができないコミュニケーションの方法が、より純粋な形でなされるのです。

ここで考えるのは「普段自分たちが如何に見た目で人間を判断して接触しているか」ということ。

先日はBEYOND Tomorrowのスプリングプログラム中にDialog in the darkを体験したのですが、グループメンバーは(知っている人もいるにせよ)そこまで知り得ている人同士ではないわけで、まだお互いを一歩引いたところから見ていた感は否めません。
そういった状態でくらやみ体験をすることは、お互いをより近しい関係にさせました。
相手を見た目で判断せず、お互いに触れ合い、声を掛け合うことで、よりお互いの心の距離を狭めることができたのです。

自分がこのくらやみ体験から学ばなければいけないことは、コミュニケーションの本質を理解し、それを日常生活に応用するということ。
相手を見た目で判断するということは、人間の常であります。
しかし自分はそれに囚われず、より自然に、よりスムーズに、相手の心の中に溶け込んでいくようなコミュニケーションができる人間になりたい。

例えば、尊敬するtwitter japanの近藤代表は、一度お話をしただけなのに「この人とはもっと前から知り合いだったのではないだろうか」という錯覚を私にさせました。
そういった、相手の心にスムーズに溶け込んでいくようなコミュニケーションを、私は目指したいのです。

そういうコミュニケーションができる人格となることこそが、グローバルな活躍を可能にするであろうと信じています。

スポンサーサイト

Posted on 2012/03/15 Thu. 22:47 [edit]

category: 日記

TB: 1    CM: 0

15

3月12日 ソーシャルビジネス 

■ ムハマド・ユヌスに学ぶ「ソーシャルビジネス」

気仙沼で、ムハマド・ユヌスをパネラーとして招きパネルディスカッションが行われました。
モデレーターは「ほぼ日」の糸井重里さんです。

『 Social Business to Rebuild the People’s life 』

直訳すれば ” 人々の生活を立て直すためのソーシャルビジネス ” となるでしょうか。

ソーシャルビジネスとは何であるかと聞かれれば、「社会のためになる事業」という漠然とした印象しか答えることが出来なかった自分でありますが、今回のパネルディスカッションに参加して、ソーシャルビジネスとは何たるかを根本的に理解できたように思っています。

詳しくは、私のfacebookページをご覧下さい。
ノートに、パネルディスカッションの速記録を掲載しています。

速記録 - Social Business to Rebuild the People's life

ユヌス氏のお話の中にあった重要なワードから一部を抜粋し、ソーシャルビジネスについて自分なりにまとめてみようと思います。

ソーシャルビジネスは、世の中の誰かに役立つサービスを、一つの選択肢として社会に提供するということです。

「ソーシャル」ですから、世の中の誰かの役に立たなければなりません。
しかし同時に「ビジネス」ですから、何らかの方法でお金を生まなければなりません。
加えて、ビジネスとして成り立つためには、企画~実行のプロセスで社会のニーズを詳細に調査し、一定の需要があるだろうと判断した上で、サービスを提供しなければなりません。

ではなぜ、「ビジネス」なのか。
チャリティーではダメなのか。

そこで「持続性」「自立性」というワードが重要になってきます。

ユヌス氏が話すソーシャルビジネスの3原則は、以下のとおりです。
・その組織が何らかの社会的問題を解決する
・もし株式会社方式でやるならば、配当はゼロ
自立的、持続的、補助金も委託事業も一切いらない、寄付金、出資金もいらない

チャリティーそれ自体は素晴らしいことです。しかし同時にそれは「施し」の事業でありますから、資金面や運営面で困難な事象にぶつかる場合もあるでしょう。
チャリティーは基本的に寄付によって成り立ちますから、資金面で不安定です。
運営面でも、チャリティー事業の運営ではスタッフは給料を頂けませんので、本業との兼ね合いになります。
このように、チャリティー事業というのは、持続性や自立性という観点では、非常にぐらついた事業であるわけです。

では、ビジネスとして社会の役に立つサービスを提供すると、どうでしょう
ここでは、ユヌス氏が主張するように、利ざや(儲け)を生まないような形態での事業展開を考えます。
また、利ざやを生まない事業形態が、ソーシャルビジネスの前提であります。

サービスに対して、その提供にかかる費用は受益者負担です。
しかし、サービスの提供者もまた社会的使命を抱いてサービスを提供しますので「儲け」を求めません。
つまり、運営費用や専従職員の給料などだけが得られれば良い、儲けを追求しないので、受益者の負担額もずっと低く抑えられます。
また、本当に誰かが必要としているサービスであれば、提供したサービスへの対価は確実に支払われます。運営費用や専従職員の給料程度に充てられる程度の事業収入はあるでしょう。
誰かが必要としているサービスを提供する、サービスを提供する側も専従職員として生活が出来る。
ここに、持続性と自立性が確立されます。

これが、ユヌス氏が考える、また、世界的に一般とされているソーシャルビジネスのあり方です。

あくまで一つの選択肢としてそのサービスを提供するわけですから、利用したい人はそのサービスを利用すれば良いし、特に必要がない人は利用しなければ良い。ただ、その選択肢を増やすことで、誰かが便利だといってくれるのであれば、それは決して無駄なことではないでしょう。

もう一つ重要なことは、もしそのソーシャルビジネスで利ざやが発生した場合について。
もし利ざやが発生した場合には、その分を更なる事業展開に用いたり、何か別の事業の展開に用いたり、社会的意義の強い事業に投資することが、何よりも良い事です。


最後にユヌス氏がお話しになったことで、パネルディスカッションにおいて最も重要だった内容を記載します。

必要なことをするための手段としてソーシャルビジネスは活用されるべきだ。
ソーシャルビジネスは、儲けることが目的のビジネスではない。
人間のために必要なことをしなければならない。
人間はお金儲けのロボットではない。
他人のためになること、一方でお金も生むようなビジネスであること。
それが社会のため、自分のためになる。そういったものをソーシャルビジネスは可能にする。

自分が展開している商売としてのビジネスを、ソーシャルビジネスと共に、パラレルに展開することが出来るだろう。
NGO、NPOで活動している人が、その活動をソーシャルビジネスに転換できないか考えるべきであろう。
いろいろな問題を解決していこうというソーシャルビジネスを集めてデザインコンペを開催し、ブラッシュアップを図ってはいかがだろうか。



最近は企業のCSRに対する意識が向上しているように感じられますが、その中にはまだ施し型のチャリティが多いのが実情です。
もちろん相当な利益を生んでいる大企業であればそれも良いでしょうが、この不景気の時代にあって、相当額の支出を必要とするCSR事業は、多くの企業にとっては少なからぬ不安でありましょう。
そこで、企業が本業と並行して、そのノウハウを生かしたソーシャルビジネスを展開しては如何だろうか、と思うのです。もちろん利益は生みませんから、本業が優先です。そこにもう一つ、利益を追求せず、かつ赤字にならないような形でソーシャルビジネスを展開する。
これからは、こういった動きがあってもいいのではないでしょうか。

Posted on 2012/03/12 Mon. 08:59 [edit]

category: 日記

TB: 0    CM: 0

12

3月2日 卒業 

■ よく3年間も通ったものだと...

盛岡一高の卒業式は今日3月2日でした。
漸く卒業、もう卒業、どちらも正直な感想ではあります。
入学する当時は、自分がそうであったように、誰もが「学校選びを間違った」と思ったことでしょうが、卒業する今になって「学校選びは間違っていなかった」と確信したはずです。

8時登校、16時下校。
他の進学校に比べれば、拘束時間は少ないと聞きます。
それでも、非常に密な8時間を過ごしました。
加えて、部活動などがあれば学校での滞在時間は12時間程度になることもあります。
よく毎日通ったものだと...大変だったけれども、それだけ楽しかったのでしょう。


盛岡一高で3年間を過ごした、という経験に伴う最も大きな「宝物」は何であるかと訊かれれば、それは「多くの素晴らしい友人」に他なりません。
自分には、辛い経験も、喜ばしい経験も、共に乗り越えてきた友人がいます。
かけがえのない友人であります。

また、学年を越えて素晴らしい人々に出会えたことも「宝物」のひとつです。
尊敬できる先輩、頼りになる先輩、心から打ち解け合うことのできる先輩、多くの先輩と出会いました。自分にとって、生きる指針になっています。
誰よりも努力している後輩、自分を慕ってくれる後輩、むしろ尊敬できる後輩、多くの後輩と出会いました。自分にとって、生きる刺激になっています。

もちろん、多くの人に迷惑をかけました。
反省してもしきれません。
しかし、自分がかけた迷惑を指摘してくれる人も、自分の周りには多く居ました。
間違った判断や間違った選択、道徳に逸脱している行動を取った時に注意をしてくれる人がいるということは、自分の成長にとって欠かせませんでした。
幸せなことです。

結論、盛岡一高の最も素晴らしい点は「豊かな人間関係を築けること」にあります。
この点において、自分が盛岡一高を受験した3年前の選択は間違っていませんでした。


国公立大学前期日程試験の発表は、6日火曜日。
次の記事で、良い結果をお知らせできることを自分自身祈っています。

Posted on 2012/03/02 Fri. 22:18 [edit]

category: 日記

TB: 0    CM: 0

02

2月27日 気仙沼プログラム 

■ 「気仙沼」にスポットをあてて

2月24日から25日にかけて、気仙沼で Boys and Girls Clubs of Boston と BEYOND Tomorrow がコラボして、「ボストン・ボーイズ・アンド・ガールズクラブ/ビヨンドトゥモロー 気仙沼プログラム」が開催されました。

【プレスリリース】:「ボストン ボーイズ・アンド・ガールズ クラブ/ビヨンドトゥモロー 気仙沼プログラム」について(.pdf)

プログラム中に、ジュリアン・レノンとニック・ウッドという英国のミュージシャンによるデュエット曲「HOPE」のバックコーラスを収録することとなり、その練習に招いて頂きました。
今回の参加対象は 気仙沼広域の高校生 ですので、このような機会にお声掛けいただいたことを嬉しく思います。

自分が参加させていただいたのは、24日の16時~18時、バックコーラスの練習場面。
どのように練習を進めようか悩みました...。

ボストンからの学生11人と、気仙沼広域の学生8名でのレコーディングでした。
結論として、自分が最初のアプローチの部分だけ進めさせてもらって、あとは19人がそれぞれ好きな様に歌うという形になり、ボストンからの学生に完全にイニシアチブを取られてしまいました(笑)

向こうの人というのはそもそも母言語が英語、かつ作詞作曲は英国人なので、歌いやすかったのでしょう。
歌に雰囲気があるんです。日本人には醸し出せない雰囲気が。

今回は自分自身いい勉強をさせてもらいました。
外国人と日本人がコラボした時に、どういう練習をすればいいのか。
どういう練習をすれば、みんなが楽しめるのか。
実際にやってみないとわからないことがたくさんあります。
いい機会を得ました。

Posted on 2012/02/27 Mon. 10:00 [edit]

category: 日記

TB: 0    CM: 0

27

1月28日 コンクールというもの 

■ 合唱コンクールというもの

今年も、岩手県合唱小アンサンブルコンテストがつつがなく行われました。


演奏に順位がつき、差が生まれるのは、どういう演奏をしたいのかというチームの意志に基づいて、それが演奏という聴こえる形として現れていたかどうか、という点に尽きるということを考えていました。こういう演奏をしたい、という意志があっても、それが演奏として現れなければ、それは音楽ではないのでしょうから。

今日の講評において早川幹雄先生が「得点化するのは申し訳ない」と仰っていたのは、各々のチームが楽譜と真剣に向い合って来た努力を得点化するのは申し訳ないという意味として十分納得できます。
それでも得点に差がついたのは、それまで取り組んできたものが果たして舞台でどれだけ発揮出来たか、という観点で評価することが、コンクールの意義だからなのでしょう。
かつてはコンクール否定派であった自分ですが、そう考えればコンクールの存在にも大きな価値を見出すことができます。
音楽は、自己満足ではなく、聴き手となる他者と感動を共有してこそ存在意義のあるものであるはず。そのためには歌い手の心の中に秘めたるものが、音という実存として表現されることが最低限必要なわけで(実際それが出来ていない団体というのは非常に多いと思うのですが...)そういった観点から優劣をつけるのが現在のコンクールなのだろうと思っています。


余談ですが、自分が現役時代どうであったかを全く棚の上にあげて言えば、最近は「おもしろい」と思える演奏にあまり出会っていません。それは単に自分が演奏会やコンクールに足を運ぶ回数が少なすぎるというところにも原因がある(むしろそれが一番大きな要因だろうか)とも思うのですが、それにしても、型にはまった演奏を良しとする風潮が存在するというのは事実ではないでしょうか。
「なるほどこう来たか!」という、聴衆をうならせるような演奏を耳が欲しています...。


あ、最後に。
盛一混声A、混声B、女声、3チーム金賞受賞おめでとう!

Posted on 2012/01/29 Sun. 00:47 [edit]

category: 日記

TB: 0    CM: 0

29

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。